廣井家の歴史について

2014年5月19日 日本の宮城県秋保にある廣井道顕氏の自宅にて、口述歴史インタビューを行った。まず廣井氏が東京で過ごした幼少期について聞き取りを始めた。この音声クリップでは廣井氏が自身の子どもの頃の話、家族のこと、そして廣井家の家系的歴史について述べている。

テーマを明確にするためオリジナルのインタビューを少し編集したクリップとなります。このクリップを文字に起こしたファイルはこのページの下にあります。廣井のインタビュー全文はこちらにあります [ 準備中  ]。

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ポーラ・カーティス:         先生はいつ、どちらで生まれましたか。ご出身はどちらですか。

廣井道顕:      東京。

ポーラ:          東京の・・・

廣井:  うん、東京のね。えと今、江東区っていう所ね。

ポーラ:          あのう、子供の時の生活とご家族について少し、あのう、お話してくださいませんか。

廣井:  子供の頃ねぇ。楽しかったね、子供の頃。へへへ。

ポーラ:          なぜでしたか。

廣井:  やっぱ友達もいっぱいいたし、近所に遊ぶ所もいっぱいあったしね。東京の下町だから。あー、近所の人もみんな、なん、なんって言ったらのかな、親しいっていうか・・・可愛がってもらったって言ったほうがいいのかな。

[00:01:20]

ポーラ:          ご家族の歴史について少し説明してくださいませんか。

廣井:  あぁ、家族。うちの廣井家の?

ポーラ:          えぇ。

廣井:  廣井家の家族・・・家族・・・。ま、家族だったら、両親と兄弟なんですけど、廣井家についての歴史、ですか。

ポーラ:          はい。

廣井:  それとも・・・

ポーラ:          ま、どちらもよろしいですか。

廣井:  まぁ、家族は、父親と母親と、あと弟が二人と妹*が一人いたんですけど。母親と妹一人が、戦争で、空襲で、行方不明。今でも行方知れずなんですけども。今現在は弟が横浜に、妹が大阪に嫁に行ったんですけど、これが亡くなって。病気で亡くなったんですけど、弟の方はもう、今世界中駆けずり回って、アメリカ・・・シアトルの名誉市民になっているし、あと、フランス、ドイツの博物館に自分のコーナーもあるみたいだし。あとフィンランドだかで、弟のやっぱ博物館だか美術館ができているんだそうですけど。ただ行ったことがないから分からないけどね。

* [ ここでは誤って『妹』と言っているが、インタビューの別の部分で『弟』であった、と訂正している。]

[00:02:58]

ポーラ:          そして廣井家は?

廣井:  廣井家はね、大変なんですよ。江戸・・・えーとね、戦国時代だ。徳川家康の関ヶ原って、あのう徳川家康が勝って江戸に移った時に、途中関ヶ原から江戸へ戻る途中で、あのう、廣井家の先祖が、うーんと、あそこはどこだか場所ちょっと忘れてるんですけど、昔はあのう渡邊っていう姓だったんだそうですけど、廣井村っていう所に住んで、そこで医者をやてたんです。で、徳川家康が勝って江戸に入城というか、こう勝って江戸に戻る時  途中で知り合って、どういうわけで知り合ったかは分からないけれども、で江戸に一緒に来ないかって誘われて、それであの、廣井村だから渡邊じゃなくて廣井って名乗れって言われて。で、徳川家康の孫の・・・家光かな、に仕えて代々あの幕府の奥医者って言うか、奥医法眼って、最高の医者の位を持ってた。っていう話で、それはあの本にも載っているんですけど、その本見せますか。

ポーラ:          あぁそうです。後で見てもよろしいですか。

廣井:  うん。

ポーラ:          はい。本当にありがとうございます。

廣井:  あのう記録・・・の本があるんですよ。寛永だか寛政・・・何とか図鑑っつうんだな。それにうちのこと載ってるんですけど。ええ。

[00:05:03]

ポーラ:          では、今の、あのう、ご家族なんですが、ご結婚されていますか。お子さんはいらっしゃいますか。

廣井: 結婚はしたんだけど、なぜか子供ができなくて、ええ。

ポーラ:      で、あのう、子供の時なんですが、どちらの学校を卒業しましたか。学歴について少し―、

廣井:              学校ねぇ。あのう戦争に巻き込まれちゃったから、ろくに行っていないんだよね。

ポーラ:          どこでしたか。

廣井:  うんとね。大島第二小学校っていうのが最後だったな。その前あのう、米沢に集団疎開って学童疎開ってのでやった米沢に半年ぐらい、半年くらいいたかな。また東京に帰ってきてから今度、戻るとすぐに空襲で、で家族散り散りになっちゃって、全国あちこち転々と歩いたらから、ろくに学校は行ってなかったですね。ええ。

[00:06:12]

ポーラ:          ま、学校の時は、特に何か教科や科目に興味がありましたか。

廣井:  あぁ、勉強きらいでね。へへへ。体育だけが大好きだったの。

ポーラ:          あのう、仕事、お仕事なんですが、江戸独楽の職人になる前、どのような仕事をすることがありましたか。

廣井:  あぁ・・・。そう言えば、色々なことをやりましたけど、長続きはしなかったですね。何やった?色々なことやったの。やったというか、手伝ったって言ったほうがいいのかな。働きに行ってお金をもらったことはなかったですね。

ポーラ:          ま、特に好きな、あのう仕事はありましたか。その色々しましたが、特に好きなのはありましたか。

廣井:  いやぁ、結局うちの今やっている仕事が一番よくて。他はあんまり好きなのはなかったですね。えぇ。

Photograph of Monzen-nakacho, in 1935 from the”Archives for the Tokyo downtown area 100 years” published by Life Information Center and is under public domain license, retrieved from Wikimedia Commons.

 

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