学校でのジャネル

ジャネルは日本へ発つ前に中西部にある二つの教育機関で豊かな教育を受けた。ハイデルバーグ・カレッジ(現在のハイデルバーグ大学)とセント・ルイス近くのイーデン神学校(イーデン・セオロジカル・セミナリー)でジャネルが過ごしていた頃の話を、宗教教育を学ぼうと決めた理由と併せて聴いてもらいたい。

テーマを明確にするためオリジナルのインタビューを少し編集したクリップとなります。このクリップを文字に起こしたファイルはこのページの下にあります。ジャネルのインタビュー全文はこちらにあります [ 準備中  ]。

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マリナ・スーティ: どちらの大学へ進学しましたか?

ジャネル・ランディス: オハイオ州ティフィンにある大学、ハイデルバーグ・カレッジに通っていたわ、今のハイデルバーグ大学ね。1948年に卒業して… いえ、高校にいたのが1944年までだったから大学卒業が1948年ね。そうだわ。それから、ミズーリ州ウェブスター・グローブスにある神学校に行ったの。イーデン神学校に2年いたわ。

マリナ: なぜ神学校へ行こうと決めたんですか?

ジャネル

ジャネル: 若い頃には自分が何をしたいのか判らなくてね。物まねするのも、演技をするのも、歌うのも好きだった、それでも自分がこれからどうなるのか判らなかった。でも牧師様がキリスト教教育の道へ導いてくださったからハイデルバーグではキリスト教教育を専攻にして、副専攻で社会学と心理学を取ることにしたの。でも私が卒業するとき牧師様にもう2年神学校に通って訓練を受けるように勧められたの、より訓練を積めば私が自分の仕事に満足できるようになるだろうと思ってのことでね。私の家からはランカスター神学校の方が近かったけれど、イーデンのようなプログラムがそこにはなかったの。イーデンはキリスト教教育を専攻としてる人向けのプログラムに歴史があったけれどランカスター神学校はプログラムを始めたばかりだったから、セント・ルイス郊外まで長いバス通学をしてイーデンまで通ったわ。それで、イーデンに2年通って、ティフィンに戻って教会で2年仕事をしたけれど、自分に運営管理は向いていないと判ったの。自分自身で直接何かする方が好きだったのね。あはは。ほかの人に「この授業を担当していただけますか、これくらいの期間なんですが」とか訊くのになかなか苦労してね。とにかく、牧師様の丁寧な指導のおかげで私は神学校へ行ったの、牧師様がそうしてくださって本当に良かった。

マリナ: もう一つ伺いたいと思っていたことがあるんです。神学校に通っていたとき、あなた以外に女学生はたくさんいましたか?

ジャネル: えぇ。牧師になるための3年制の課程を取っていた女性が二人いたわね。私がいた2年制課程は男女ともにキリスト教教育の責任者としてキリスト教教育機関に就くことを目的としたものだった、ほら、教会役員としてね。 でも、聖職位は授与されなかった、私はされなかったけど…二~三人授与されてたわね。一人中国出身の女性がいたわ。それで、その中国人女性はキリスト教教育課程在籍で、もう一人私の同級生のお母さんが在籍していて、そのお母さんも同じ課程にいたわ。男女とも牧師や説教師になる人たちが同じ授業を一緒に取っていたから面白い経験だったと思うわ。でも私たちにはキリスト教教育に関連した特別授業もあったの。

Photograph of Founder’s Hall at Heidelberg University via Wikimedia Commons. Photograph of young Janell via Janell Landis.

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